―中学3年―
みんな受験一色に染まっていました。
学校で出された課題を確実に提出し、
塾で毎日夜遅くまで勉強する。
朝も早く起きて学校へ行き、先生に質問をする。
それはアニメとか漫画だけの世界であって、
僕の周りにそういう生徒はいませんでした…
周りだけでなくて当時の僕も、
生徒指導の先生「翔!お前シャツが出とるぞ!」
翔「はい…(出てたらいけないの?)」
昼休み
生徒指導の先生「翔!またシャツでとるだろ!」
翔「いや、出てませんよ(出てるけど面倒なんだよなあ…)」
生徒指導の先生「よし分かった。運動場走ってこい」
翔「はい!!!」
(そのまま家に走って帰る)
って感じで、あまり真面目ではありませんでした。
授業形式の塾にも行っていたのですが、
個人勉強ルームみたいなところがあって
そこに友だちと早く集まって水鉄砲で戦ったり…
今思えば、何してんだって感じのことばかりしていたのです。。
もちろん水鉄砲公認の塾ではなくて、
隠れて戦っていたんですよ。笑
ある時、
翔「くらえ!○○!!!」
○○「あっ…!」
パリンっ
翔「ん?」
塾長「翔くん、○○くん、ちょっと来て^^(怒)」
楽しい日々も、水鉄砲が塾長のお茶に命中し、
マグカップを割ったことで終わりを告げました…
塾長から何時間も説教をされ、
個別勉強も見張られたり…
それでも家に帰ればゲームゲームゲーム三昧で、
親に怒られながらも一切勉強することはなく。
そのまま受験へ。
中二から偏差値を15くらい落としていた僕ですが、
志望校を下げていたので難なく合格しました。
「人生甘いな。挫折?何それ?」
完全に舐めていました。
―高校生活―
難なく合格した高校ですが、
けっこう気に入っていました。
漫画で読んだような、番長もいましたし、
クローズみたいな(そこまでいかないけど)
「何高の○○と何高の△△がタイマンしたらしいぜ!」
みたいなカオスな雰囲気があったからです。
当時、僕は身長146くらいでしたので、
全く縁のない世界でしたが…
で、高校に入ったら絶対にやりたいことがあったんです。
それが、
最強の帰宅部になること
高校2年からバイク通学が許可されてから、
僕の最強帰宅部への道が完全に開かれました。
16時30分に帰りの会が終わると同時にバイク小屋まで全速力で走り、
そのままバイクに乗って全力で帰宅する。
そのおかげで、毎日公務員より早い17時には家にいました。
僕にとっての最強の帰宅部とは、
“いかに家に早く帰れるか”。
おそらく僕ほど最速で家路に付く人はいなかったでしょう。
ただ、途中で気づいたのですが…
家に帰ってもやることがない!
最強の帰宅部は1ヶ月で廃業となりました。
その後は、毎日友だちの家に行ったり、
学校を休んで街へ買い物へ出かけたり。
なんちゃってヤンキー生活を送っていました。
今思い出すと本当に恥ずかしい。笑
こういう過去を武勇伝のように語る人いますが、
僕にとっては恥ずかしい過去でしかないです^^;
そうやって何にも打ち込むことなく、
悪の道へ足を突っ込んだまま大学受験を迎えました。
大学受験も高校受験と同じように、
結局何もせず、ただただ毎日を無駄に過ごしていたのです。
そのおかげで、さらに偏差値10程度落としました。。。
この時点で偏差値40程度くらいしかなかったと思います。笑
それでも、夢はないし、やりたいこともない僕は
毎日友だちと遊び呆けました。
志望大学は、
・家から近い
・理系
この二つの理由だけで決め、
受験しにいったんです。
で、この大学って僕の偏差値でも問題なく、
というか確実に受かるようなところなんですね。
しかし…
センター試験の結果、判定C
それでも当時の僕は頭がおかしかったので、
すべり止めを受けず毎日ぼーっとしていました。
結果、、、
大学合格!
人生における二つの試練を、何の努力もなく、
何の挫折も味合わずパスしてしまったのです。
当時の僕はきっとこう思っていたでしょう。
人生なんてどうとでもなるよ。頑張りすぎる必要は一切ないね。